IQ210の神童キム・ウンヨンは60年代の日本を震撼させた。しかし40年後の彼の姿に言葉を失う。

皆さんが小学生だった頃を思い出してみてください。クラスの中に、必ずずば抜けて頭のいい子がいたでしょう。 末は博士か大臣か…しかしその後の人生がどうなったかと知る人は多くはありません。今回紹介するのは、「世界一頭が良い」と言われた「神童」の人生の物語です。

1967年11月2日、日本中が興奮に包まれていました。フジテレビ系「万国びっくりショー」の第一回放送に、韓国の天才少年キム・ウンヨン(金雄鎔)が出演したのです。当時キムはわずか4歳。普通であれば算数も分からないような年齢ですが、東大生二人がやっとの思いで解いた積分を、黒板に向かってさらさらと鮮やかに解いてみせたのです。

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物理の大学教授の父親のもと生まれたキムは1歳ですでに難しい漢字もすらすらと読み、5歳になる頃には4ヶ国語を操るようになっていたと言います。そのIQは210とも推定され、アインシュタインやゲーテに匹敵する天才と目されました。その頭脳は、ギネスブックにも掲載されるほどでした。テレビ番組で紹介されて以来、キムは日本のメディアの関心の的であり続けました。
「将来はノーベル賞獲得か、もしくは大統領…」
メディアはキムをありったけの賛辞でもてはやしました。

人々の期待に応えるかのように、キムは5歳の頃から漢陽大学で物理学の授業を聞き、8歳で米国コロラド州立大で勉強を開始。 12歳ではNASAで研究員として働くまでになりました。遺憾無く天才ぶりを発揮していたキムですが、ここに来て暗雲が立ち込め始めます。

キムには致命的に苦手なことがあったのです。それは、人とコミュニケーションを取ること。誰かと深い関係を結ぶことが、キムには出来なかったのです。いかに天才的な頭脳を持っていようとも、孤独ばかりは解決することはできません…いつでもひとりぼっちだったキムは、いつしかうつ病に苦しむようになっていきます。そんな苦しみの中、誰もが羨むような「天才」としての人生を生きていたキムは、いつしか自分の人生の本当の望みを知るのです。

Llegó la Vacación

それは、「普通の人生を生きる」こと。普通に友人に囲まれ、普通の仕事をし、普通の家庭を築くこと…それがいかに尊いことか、キムは気づくのです。19歳になったキムは、全てを捨て、母国韓国に帰る決意をします。

帰国したキムは、地元大学への進学を決意しますが、世間からの目は冷たいものでした。浮世離れした生活を送って来たキムにとって、「一般の生活」は未知の領域でした。キムは大学の授業料の出し方さえも知りませんでした。 役場で請求書を受け取って銀行に行って払わなければならなかったのに、そんなことをしたことがないので、どのような過程を経るか分からなかったのです。ただ経験がないだけなのに、人々は大げさに騒ぎ立てました。
「失敗した天才」
「神童が完璧にバカになって帰って来た」
あれだけキムをもてはやしたにも関わらず、今度は踵を返したように散々な言葉を浴びせかけます。その視線を振り払うのにやっとでした。

PAPARACHIS

キムは結局、韓国トップ3と目されるような名門大学ではなく、地元の小さな国立大学に進学します。キムは人々からの注目を浴びることなく卒業し、そのまま修士·博士学位を取得して研究者となりました。

注目を浴びてから50年。今キムは、公企業に勤務する、いわゆる普通のサラリーマンです。そこにかつて神童だった面影はありません。しかし、何よりも大切なものを見つけました。それは家族です。キムには愛する妻がいます。大学時代に出会った女性です。キムは当初、自分が神童であるともてはやされていた事実を隠しながらその女性と交際していました。しかしある日、全て打ち明けることにします。その女性は、キムの愛を受け止めました。

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妻との間には、2人の可愛い子供がいます。キムは子供たちにいつもこう言い聞かせます。
「体をたくさん使って健康になりなさい。そして、たくさんの友達を作りなさい」

いかがでしたか?「神童も二十歳過ぎればただの人」…キムはその言葉通りに、天才としての人生から降り、平凡な生き方をしています。世間ももう彼のことで騒ぎ立てることはありません。しかしキムは、天才としての人生を生きていた頃には見ることができなかったものを発見し、これ以上なく満足だと言います。ささやかな幸せは、明晰な頭脳にも優る私たちへの贈り物なのかもしれませんね。

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