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「大丈夫」と言ってから3時間後、母が事故で帰らぬ人となった。タンスの引き出しを開けたとき、息子は母が嘘をついていたことに気づく。

「つたえたい、心の手紙」は、亡くなってしまった大切な人に生前伝えられなかった想いを綴った手紙を募集する、冠婚葬祭会社「くらしの友」が2008年より毎年実施している取り組みです。同社に届いた手紙の入賞作品をお笑い芸人・鉄拳さんがパラパラ漫画にしています。

交通事故で母を亡くした男性。葬式を終え、母の使っていたタンスの引き出しの一つを開けると、突然その中へと吸い込まれてしまいます。その先で彼が見つけたもの、それは亡き母の優しさでした。

動画の元となった手紙はこちらです。

『母のサポーター』

 父が2000年に倒れてから、少しずつ身体が不自由になる中、母は自分よりも大きな父を一人で背負って、階段の上り下りを一人で担当していました。私が、帰省した際に母に「僕がやるよ」と言っても、母は笑いながら「大丈夫、大丈夫。あんたがぎっくり腰にでもなったら大変だからね」と言って、大きな父を器用に背負って、階段の上り下りをしていました。

そんな母が、父をデイサービスに送り出し、その後、慌てて自転車で買い物に行く時に、信号無視の左折するダンプカーに巻き込まれて、帰らぬ人となりました。

当日の朝、いつものように母に電話して父の様子を尋ねました。母は、「何も変わりがないよ」とのことでした。僕は、母に「父を背負っての階段の上り下りで身体が痛いところはないの。無理しないようにね」と話しました。母は、いつものように明るい声で、「大丈夫、大丈夫。肩なんか昔から一度も凝ったことがないから大丈夫」と笑っていました。母と話をしたのは、それが最後でした。その3時間後、私が病院にたどり着く前に、母は天国に旅立ってしまいました。

その後、父に母が亡くなったことを伝えたこと、周りの人たちの嘆きや悲しみは忘れることが出来ません。

葬儀が終わり、母の使っていた箪笥(たんす)の引き出しの一つを開けると、そこには入りきれない様々なサポーターがあふれるようにしまってありました。

その引き出しを持ったまま、私は涙が止まりませんでした。母の辛かったであろうことや、出来損ないの息子としてのふがいなさが身に染みて、引き出しをしまうことも出来ませんでした。母が私にいつも「大丈夫、大丈夫。肩なんか昔から一度も凝ったことがないから大丈夫」と言っていたのは、嘘だったのです。私に心配をかけまいと、肩や膝などの痛みに耐えて、父を背負って階段の上り下りをしていたのです。

私は、そんな母の辛かった状況を理解せず、母の「大丈夫、大丈夫」という言葉を信じていました。本当は、分かっていたのかも知れませんが、遠くに暮らす長男として、何もできないことを母の、「大丈夫、大丈夫」の言葉で安心させて貰(もら)っていたのかも知れません。

私が天国に行く時には、母のサポーターが引き出しに山のようにあった話を笑い話として、母の肩のマッサージを一杯一杯、ゆっくりとしてあげようと思います。ありがとう、お母さん。本当に、ありがとう。

思い出を辿れば、あたりまえにあった母の優しさや、たくましさ。その無償の愛に改めて気づくことができる、切なく温かいエピソードでした。

プレビュー画像:©Youtube/oricon

「大丈夫」と言ってから3時間後、母が事故で帰らぬ人となった。タンスの引き出しを開けたとき、息子は母が嘘をついていたことに気づく。「大丈夫」と言ってから3時間後、母が事故で帰らぬ人となった。タンスの引き出しを開けたとき、息子は母が嘘をついていたことに気づく。