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【江戸時代の恥ずかしすぎる刑罰】まさかのおデコに入墨の刑…犯罪3回目で額にあの文字が完成!

江戸時代の入墨と言えば「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ!」のセリフでお馴染みの遠山の金さん。

金さんのモデルとなった奉行、遠山景元が実際に桜吹雪の入墨を背中に入れていたのかについては疑問視する声もあり、史実かどうかは定かではありません。とはいえ、日本の和彫り文化が隆盛を極めた江戸時代、入墨は大衆文化の一つとして町人庶民の間で大いに流行しました。

「江戸の花」の象徴、刺青文化

当時ふんどし一丁で仕事をすることが多かった鳶(とび)職人や、飛脚が素肌をさらす代わりに入墨を纏うようになったことから入墨文化は広まりました。

特に建築だけでなく祭りの準備などに従事し、町内の警備役や消防も担った鳶職は、その伝統と気概で江戸の花形であり、高給取りでした。華やかな江戸を象徴するスター職業であり、江戸時代の美意識の「粋」を体現する鳶職人は入墨文化を引率するアイコン的存在でもあったのです。

犯罪防止目的で「刺青刑」を採用

そんな江戸の大衆ファッション文化の象徴の一つとして庶民に浸透した入墨ですが、その特性を生かして刑罰に用いられるようになります。当時、江戸や大阪の大都市に人口が集中するようになると犯罪が多発。1720年(享保5年)犯罪の抑止効果目的で、一度入れたら消せない上に、パッと目につく入墨を罪人に入れる「入墨刑」が採用されたのです。罪人の証拠として見せしめ効果のある「烙印」として刺青を入れることで、犯罪を防ぐ狙いがあったと考えられています。

入墨刑として入れられる刺青はデザインは各藩によって様々で、罪人がどの藩で罪を犯したのかが一目でわかるようになっていました。入れる場所も藩によって異なりましたが主に腕に入れるパターンが多かったようです。しかし、腕ならばまだ着物で「前科者の証拠」を隠せるからマシなのかもしれません。

前科者だと即バレ、お顔に罪人の証

藩によっては腕ではなく額にデカデカと入れられるケースもありました。

©️twitter/ライブドアニュース

手ぬぐいでも被らない限り、隠しようがないおデコに堂々罪人の証。自業自得とはいえ、入れ墨を入れられた罪人たちに少し同情心が湧いてしまいます。しかし、さらに恥ずかしい入墨刑を執行する藩もあったのです。

芸州広島藩ではまさかの「犬」文字の刑。

©️twitter/ライブドアニュース

初犯では「一」だけですが、再犯で「ナ」、さらに3度目の再犯を重ねると「犬」にされてしまう再犯歴を物語る刑です。額に犬の文字を入れられた罪人たちはどんな気分で余生を過ごしたのでしょうか…おそらく、近所の住民から影で「犬」呼ばわりされていた可能性大です。

また、江戸では盗みを働いた罪人に対して「悪」の文字を額に入れており、肥前佐賀藩で喧嘩をすると「✖️」、肥後熊本藩で喧嘩をすると「刀」の絵文字の刑に処されたそうです。

「入墨刑」は刑罰としては軽い量刑で、軽い盗みを働いた罪人が追放刑や敲(たたき)刑に処せられると追加として入墨を施されました。江戸時代の刑罰は厳しく、10両以上を盗むと死罪となったことを考えれば当時の軽犯罪としてはありがちな刑なのかもしれませんが…軽い気持ちで盗みに手を染めたり、うっかり売られた喧嘩を買ってしまっておデコに入墨の刑に処されてしまったら、後悔してもしきれません。

庶民文化が花開いた江戸時代、入墨が華やかにより派手に趣向を凝らしたデザインが大流行する一方で、罪人の烙印として前科者を見分ける印としても使われていたのです。

おデコに犬や悪、✖️の恥ずかしい入墨を入れられた罪人たちはその後無事に更生することができたのでしょうか?もしかしたらずっと後ろ指を指され続けたのかと思うと、身から出た錆とはいえ、気の毒な気がします。

プレビュー画像:©︎Twitter/ライブドアニュース

【江戸時代の恥ずかしすぎる刑罰】まさかのおデコに入墨の刑…犯罪3回目で額にあの文字が完成!