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父親は、娘のベッドの中を見て我が目を疑った。その後、こんな結末が待っていた!

もし愛娘が男とベッドを共にしているところを発見してしまったら…全世界の父親にとっての悪夢のシナリオではないでしょうか。そんな事態に遭遇してしまったある父親は、その日の葛藤と想いを掲示板サイトRedditに投稿しました。彼の話からは、多くを学ぶことができます。

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「私には娘がいます。ある朝、階段を降りて行った私は見てしまったのです。17歳の長女が居間のソファーの上で、明らかに『激しい肉体労働を終えた後』のような状態で若い男と一緒に寝ていたのです。私は静かに朝食を作り、2階に戻って妻と息子と次女に居間で見たものを説明し、『まだ寝ている人がいるので下に降りる際には静かにするように』と伝えました。食卓はソファーから6メートルほど離れているのですが、ソファーに面して位置しています。

みんなが食卓に着いたタイミングで私は、大きな声で『おい、若者!』と叫びました。

あれほど早く人が飛び起きて、水平状態から直立状態になったのを見たことがありません。 

『朝食の用意ができているぞ』と厳しい口調で私が言うと、彼はまるで最期を悟ったかのような顔をしていました。私が自分の隣の席を引いて彼に『座れ』と言ったとき、家族は全員下を見つめて黙っていました。

この若者にとって、それは人生で一番つらい裸の6メートルだったに違いありません。彼は食卓の隣に脱ぎ捨ててあった服を拾い、それを素早く身に付けて私の隣に座りました。私の息子(身長193センチ)が彼の肩を軽く叩いて彼の目を見て、ため息を吐きながら頭を横に振りました。この時点で、彼がものすごく緊張しているのは誰の目にも明らかでした。

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私はできるだけ強いロシア訛りの英語で言いました。

『友よ、俺はこれから質問をする。その答はとても重要だ。お前のためにもな』

彼は汗だくでした。 

『猫は好きか?』

彼は親しみやすい感じの良い好青年で、教養はともかく頭は悪くなさそうでした。しかし何か変わったところがある青年でした。その理由を、私は後になって知ることになります。

娘は彼とはすでに1ヶ月ほど交際があり、気が利いて優しい人だということを私たちに一生懸命に説明していました。

その日以来、彼は毎日のようにうちに来るようになりました。しかし一晩として泊まっていったことはありませんでした。

彼は毎朝通学時に自転車で娘を迎えに来て放課後は家まで送り、娘がちゃんと宿題をやっているかまでチェックしてくれていました。娘が風邪を引いたときも私や妻が仕事でいないときは、彼が娘の面倒を見てくれてました。気難しい娘が荒れるときも、彼は我慢強く優しく接してくれていました。

いつか彼は家族がいないこと、そして学歴も安定した仕事もないことを話してくれました。

娘は彼に恋していて彼も娘に恋していました。娘には自らの失敗の経験から学ばせようと私は思っていました。

しかし、あの朝から8ヶ月が経った頃、この青年について色々と調べていた息子が私に教えてくれたのです。暴力的な父親が自殺をはかり、薬物中毒の母がその3週間後にいなくなったこと。レンタルのトレーラーに住んでいた後にホームレスになったこと。15歳の頃から3年以上も路上生活をしていること。公園、救世軍の施設、友達の家、安い宿などを転々としていること。

私が知っていたのは、彼が18か19歳の礼儀正しく、来るときも帰るときにも笑顔を忘れない、思いやりに溢れ、聞かずとも自ら率先して何でも手伝ってくれる、心優しい青年だということだけでした。彼は、私の娘を幸せにしてくれる青年でした。

しかし、この青年には子ども時代がなかったのです。自殺傾向のある躁鬱病の父と薬物中毒の母を持ち、近所の人に食べ物を貰いながら常にひもじい思いをしてきたのです。

彼が仕事のためうちに来れない日があれば、家族は寂しがりました。親友とまでは言えませんが、彼は息子ともよく気が合いましたし、一番下の娘も彼のことを気に入っているようでした。妻も子どもが一人増えたように、彼の世話を焼きたがりました。そして私も、彼のことが気になったり、幸せになって欲しいと思ったりしていました。

息子から聞いた話を妻と下の娘に説明したとき、二人は涙を流しました。一番上の娘には少しガッカリしました。娘は全てを知っていたからです。家族にはそのことを黙っていて、彼のことを愛していながら毎晩帰る家もない彼を家から出していたのです。

その次の日、私は家の鍵を彼に渡し、『これからは、毎日家に帰って来い』と伝えました。彼の家にです。その後、数週間かけて空き部屋を整理して家具を揃えました。彼は手先が器用で、家具を組み立てるのが上手でした。物を作る仕事をやりたいという彼に私たちは、勉強の機会を与え、できる限りサポートしました。

これは、2000年のことです。それから15年経ちました。私の2人目の息子と長女は現在、会社を経営し成功しています。

二人は去年までに私たちに三人の孫を授けてくれました。」

ショッキングな状況も、その後どのように展開するかはわかりません。強い感情が湧いてきたときは、一呼吸置いて落ち着いてから対応することが肝心です。人生は嵐をどう切り抜けるかでなく、雨の中でどう踊るかが重要なときもあります。もしあの朝、この青年を家から追い出していたら、家族はこんなに幸せにはなっていなかったかもしれませんね。

プレビュー画像:©︎flickr/in hiatus