戦後横浜の繁華街に出没した白化粧の女性「ヨコハマメリー」。都市伝説となった女性の切ない人生。

「ハマのメリーさん」をご存知ですか?横浜にゆかりがある方であれば、もしかしたらその噂を聞いたことがあるかもしれません。 小柄でフリフリの白いドレス、真白い白粉の化粧という街で出くわしたらギョッとするような出で立ちで横浜の繁華街に夜な夜な出没していた女性は、いつしか横浜の街の風景の一部となり、伝説的な存在となりました。今回は、時代に翻弄されながらも人生を生き抜いたその女性の物語をご紹介します。

 
 
 
 
 
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メリーさん(本名不詳)は1921年、岡山県に生まれます。実家は農家で、女4人、男4人の姉弟の長女でした。家は貧しく、メリーさんは小学校を卒業したあとは中学校へは進めず、代わりに青年学校を卒業します。その後すぐに地元の国鉄職員と結婚。そして第二次世界大戦が始まると軍需工場に働きに出ますが、職場にうまく馴染めず、自殺未遂を起こしてしまいます。この出来事が原因で結婚からわずか2年で夫とは離婚してしまいます。


戦争が終わると、関西のとある料亭で働き始めます。しかしそこでメリーさんの人生は変わり始めます…そこは表向きこそ料亭でしたが、実際はアメリカ兵の慰安所だったのです。戦後の混乱の中、生きていくために必死でした。その料亭で女中奉公を続けていたメリーさん、そこであるアメリカ軍の将校と運命的な出会いを果たします。将校とはそのまま愛人関係になり、メリーさんは彼に連れられるがまま東京へ。しかし朝鮮戦争が勃発し、将校は「必ず帰ってくる」と言い残し戦地へ赴いてしまいます。

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取り残されてしまったメリーさん。横須賀周辺でアメリカ軍兵士の娼婦として生き長らえながら、将校の帰りを待っていました。しかし待てども待てども、将校が帰ってくることはありませんでした。メリーさんは外国船が寄港する横浜に流れ着き、横浜港のメリケン波止場に白いドレスと日傘を持って毎日将校を迎えに行ったそうです。いつしか歳を取り、顔のシワを隠すための化粧もどんどん厚くなり、最後には白塗りのようになっていました。

 
 
 
 
 
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時は流れ、1980年代。その「白塗りの老婆」は横浜の風景の一部となっていました。外国人専門の娼婦だったメリーさん、時が経つにつれ日本人客も取るようになります。しかし、声を掛けるのは「恰幅がよく、メガネを掛けた、身なりのよい中年男性のみ」。つまり、メリーさんに声を掛けられると「頭がよく、お金持ちで社会的信用のある男性」と見なされ、自慢できるようなことだった、との噂も。

 
 
 
 
 
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メリーさんの生活は決して楽なものではありませんでした。トイレで寝ているところや、家財道具一式が入った大きな紙袋をぶら下げているところを目撃されていることから、半ばホームレスに近い生活をしていたと想像できます。しかしメリーさんは気品があり、人からの施しは一切受け付けなかったそうです。

 
 
 
 
 
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そんな気高いメリーさんでしたが、1995年頃、ついに四半世紀以上過ごした横浜の街から地元・岡山の老人ホームに居を移し、2005年、安らかに息を引き取ります。84年の波乱万丈な人生。74歳まで街頭に立ち続けたメリーさんは、まさに“伝説の老娼婦”として、横浜で語り継がれる存在となりました。

 
 
 
 
 
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いかがでしたか?この「ハマのメリーさん」の人生は多くの人の好奇心や想像力を掻き立て、ドキュメンタリー映画書籍にもなっています。

一人だけ本気で愛した人を待って、街に立ち続けたメリーさん。その切ない物語に心打たれる人は後を立ちません。

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