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【私の夫と結婚してください】ガンの妻が最期に残した言葉。しっかりと思いを受け取った夫の20年後の姿に涙が止まらない。

皆さんは毎日を大切に生きていますか?人生が尊く輝きに満ちているということは、頭ではわかっていても、忙しい生活の中でつい忘れがちです。しかしその当たり前の事実に気づかせてくれる、朝日新聞に掲載されたあるエピソードをご紹介します。タイトルは、『私の夫と結婚してください』。

全ての始まりは20年前に遡ります。
川崎市の病院で緩和ケアを担当していた医師のゆかりさんは、ある子宮ガン患者の主治医になります。その患者の名は、ゆり子さん。
ゆり子さんには夫がおり、名前は雄二さんと言いました。雄二さんとゆり子さんの夫婦仲は睦まじく、雄二さんは病院に寝泊まりして仕事に通うなど、献身的にゆり子さんの世話をしていました。医師ゆかりさんは、治療の相談に親身に乗りながら、雄二さんゆり子さん夫妻と食事をすることもあったそうです。

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夏も終わりに差し掛かったある日。
ゆり子さんは夫・雄二さんに冗談っぽくこう溢したそうです。
「もう、あと長くは生きられないけど、あなたは再婚してね。でも、私が認めた人じゃないとダメ」
そして、病室にいた医師ゆかりさんを指さした。
「それは、この人」
夫・雄二さんは「何言ってんだよ」と笑って流しました。医師ゆかりさんも笑顔を返しました。
その1か月後、ゆり子さんは息を引き取りました。

Flowers

雄二さんと、妻の主治医だったゆかりさんが再会したのは、翌年の秋のことでした。病院で開いた遺族会に、雄二さんがやって来たことがきっかけです。雄二さんとゆかりさんはその後一緒に食事に行きました。食事中、雄二さんは涙をこぼしながら言いました。
「妻が元気だったら、こんなの、一緒に食べたかった」

雄二さんとゆかりさんは次第に惹かれ合うようになり、交際に発展しました。
生前に妻が言った言葉も後を押しました。
その1年後、2人は結婚します。

come stand by me

その後2001年に宮崎市に引っ越し、ゆかりさんは地元の病院の緩和ケア医長になります。患者が最後まで安心して暮らせる場所を―。そんな思いから、民家でスタッフが患者を支える在宅ホスピス活動をNPO法人と始めたそうです。

雄二さんも全力で妻をサポートしました。宮崎で夫婦で走り回って14年も経とうかというある日、ゆかりさんが切り出します。
「話がある。深刻な話」
13歳の息子が寝入った夜中、自宅の廊下でのことでした。
「腹膜がん。もう、だいぶ大きいんだ。あと3、4か月かも」

ゆかりさんは仕事のペースを緩め、これまでできなかった料理やフラダンスを始めました。雄二さんと初めて2人で海外旅行に行き、モンゴルで満天の星を見上げました。
そして昨年2月、雄二さんと息子に見守られて、ゆかりさんは亡くなりました。

Stars

雄二さんは現在も、在宅ホスピスを広める活動を続けています。亡くなる直前、ゆかりさんは雑誌にこう手記を寄せています。
「一日一日を丁寧に『暮らす』、一つ一つに心を込めて『暮らす』
その積み重ねが『生きる』ということなのだと、強く思いました」

https://www.imishin.me/marrymyhusband/

妻を2人ともガンで失うことになってしまったことは悲劇としか言いようがありません。しかし、最初の妻・ゆり子さんが繋いでくれたバトンはしっかりとゆかりさんに受け止められました。そして、ゆかりさんが残した思いは、雄二さんの胸に今しっかりと刻まれていることでしょう。それは一瞬一瞬を大切にするということ。生きているということはそれだけで奇跡なのかもしれません。

プレビュー画像:©︎Facebook/Hitoshi Okahara