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えらい

偽医師が未熟児を”見世物”にして 数え切れないほどの命を救う

早産児や未熟児用の保育器(インキュベーター)は、現在では新生児病棟がある病院ならどこにでも置かれています。しかし、この保育器が19世紀後半に発明されるまでは、未熟児として生まれた赤ちゃんが生後数日を生き延びて、元気になる可能性は皆無といってよい状況でした。母親たちは頼れる人もなく、ただ悲嘆にくれ、赤ちゃんに別れを告げるしかありませんでした。

19世紀、ついに保育器を発明したのはなんと偽医師でした。数え切れない赤ちゃんの命を救うことになる、マーティン・クーニーの物語をご紹介します。

1896年、ベルリンで開催された博覧会で初めて世に保育器を紹介したのがマーティン・クーニーでした。クーニーの時代、未熟児は生命力が弱く、遺伝的にひどく劣っているとされ、死ぬことはむしろ救いだと考えられていました。つまり、未熟児として生まれた赤ちゃんへの延命措置など無用だという冷酷な現実主義が広く社会に行き渡っていたのです。この暗黙の合意により、弱い存在である未熟児の命はただ天に任せることになっていました。

このような社会状況のなか、クーニーはできるだけ多くの未熟児を保育器で救いたいと考えていました。しかし資金はありません。政府からの資金援助を受けることもできませんでした。保育器の維持費は現在の貨幣価値に換算して1日約400ドル(約4万円)。未熟児の両親が払える額ではありませんでした。保育器で赤ちゃんを救うにはまず資金が必要だったのです。しかし、クーニーはこの最大の問題を解決する奇策を思いつきます。

クーニーは、人々の好奇心に策を見出したのです。人は不気味なものに興味を持ち、自分たちと違うもの、奇妙なもの、恐ろしいものを見たいと感じるもの。当時、欧米では、身体に奇形のある人や手足を切断された人々を見世物にする「サイドショー」や「フリークショー」が盛んでした。屈辱的な状況ではあるものの、奇形を持つ人々は常にじろじろと好奇の目で見られていたため、自身をショーにすることで生計をたてることが彼らの生きる知恵だったのです。

同じような好奇心から人々は保育器の中の小さな赤ちゃんを見に来ました。1903年、クーニーは保育器を携えてアメリカに移住し、入場料25セント(約800円)で赤ちゃんたちを展示しました。保育器の中で生死の境を生き延びた赤ちゃんたちは人気を博し、たくさんの人がその場を訪れたと言います。

クーニーは正式な医師ではなく、医学の訓練も受けていませんでした。そのため彼は当時の医師たちからペテン師扱いされ、軽蔑されていました。しかし、クーニーが管理した保育器は常に完璧に整備され、清潔で、看護師のケアも行き届いていました。1940年までに彼らが命を救った赤ちゃんは約6,500人と言われています。

1940年頃には赤ちゃんを見世物にする展示場の人気は落ちていましたが、その頃には、病院の理事たちが保育器の有効性を確信していました。そして、政府が保育器に出資するというクーニーの夢がついに実現したのです。

不幸を見世物にするという方法自体は不謹慎とも言えるものですし、彼は正式な医師でもありませんでした。それでも、その時代に、そして現代に至るまで、数え切れないほどのかけがえのない命を救ったクーニーの功績は高く評価されるべきではないでしょうか。

プレビュー画像:©Facebook/Stunning and Interesting Facts that you didn’t know., ©︎Facebook/Adela Micha