伝説のボディビルダー マッスル北村|極度のストイックさが招いたその若すぎる死

マッスル北村さんを知っていますか?規格外の怪力を誇った伝説のボディービルダーにして、柔らかい物腰でタレントとしても人気を博した人物です。 しかし2000年、突如としてこの世を去りました。その死因は、この時代に似つかわしくない壮絶なものでした。

 
 
 
 
 
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北村克己、のちのマッスル北村さんは彫刻家の父のもと1960年東京に生まれました。幼い頃から人一倍ストイックな性格で、「人は何の為に生まれてくるのか。僕は、せっかく生まれてきたのだから、何か目標を見つけて、自分の限界まで挑みたい。そうしないと時間がもったいない」という信条のもと、スポーツから勉強まで、様々なことに熱心に取り組みました。一度のめり込んだら絶対に止まらない性格で、家族をよく困らせていたようです。中学2年生の時、自転車に熱中していたマッスルさんは16時間連続で乗り続け、気絶するまでペダルを漕いだと言います。

「ボクには時間がない」マッスルさんの口癖でした。

 

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そんなマッスルさんがボディビルに出会ったのは、大学生の頃でした。猛勉強の末、二浪で東京大学理科2類に合格したマッスルさん。スポーツ万能で比較的体格が良かったため、先輩に進められるがまま、ボディビルの関東学生選手権へ出場します。しかしそこで、鍛え上げられた他の選手と、ボディビル経験ゼロの自分のあまりの差に愕然とします。それがきっかけで、マッスルさんのとことん追求する性格に火がついたのです。


それからというもの、マッスルさんは筋力トレーニングに明け暮れます。さらに卵20~30個、牛乳2~3リットル、鯖の缶詰3缶、プロテインの粉末300g、これら全てを消化剤により無理やり吸収することで、筋肉はどんどん肥大化していきました。


しかしここから、父親との確執が深くなります。勉強せずにトレーニングに明け暮れるマッスルさんにある日激怒した父親は、ダンベルシャフトで何度もマッスルさんの頭を殴りました。左の網膜が剥離し、手術を余儀無くされるような状態になってもなお、マッスルさんはボディビルの道を諦めませんでした。

 

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結局ボディビルに専念するために東京大学を中退。その後家族との折り合いをつけるため東京医科歯科大学医学部に再び入学するも、やはりボディビルへの情熱が消えず、また2年で中退してしまいます。その際も父親は、マッスルさんがボディビル大会で獲得したトロフィーや盾を全て窓から投げ捨てたと言います。


しかしその障害がマッスルさんのボディビルに対する情熱をさらに大きなものにしてしまいます。

「克己、ボディビルをやっていて本当によかったなぁ」と父親に言われるのが夢…マッスルさんはそう語っています。

 

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目標をボディビル一本に絞ったマッスルさんはメキメキと実力を上げていきました。1985年には時間がないなか体を絞るため、120kmもの距離を15時間連続で走り抜くことで14kgの減量に成功し、見事アジア選手権ライトヘビー級のタイトルを獲得しました。


その後はタレントとしてお茶の間にも進出。鍛え上げられた鋼のような体に似つかわしくない謙虚で穏やかな語り口で人気を博しました。そんなマッスルさんを突然の悲劇が襲います。


それは2000年8月3日のこと。ボディビル世界選手権に向けてトレーニングを重ねていた際、突如として倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。死因は、体脂肪を極限まで減らしたことで異常な低血糖状態となったことが引き金となった急性心不全でした。事実上の飢死だったのです。


実はマッスルさんは亡くなる数日前にも倒れて病院に運ばれており、この時は一命を取り留めていました。その時、妹が「めまいがしたら飴を舐めて。飴一個でいいから」と言ったにもかかわらず、「僕は、そんなわずかなカロリーすら摂取したくないんだ」と断固として食べ物を受け付けなかったと言います。


葬儀では、巨大なマッスルさんの遺体を収容できるサイズの棺がなく、特注の棺を用意したと言います。死亡時の体脂肪率は3%を下回っていました。

 
 
 
 
 
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39歳というあまりにも短い人生を駆け抜けたマッスルさん。しかし日本のボディビルディング界にもたらした影響は、その体に恥じない大きさでした。その強靭な意志と肉体は、亡くなった今もなお人々から尊敬され続け、亡くなってから10年以上経った2012年にも出版されています。努力の超人だったマッスルさんですが、その心は、父親に認めて欲しいともがく一人の青年のままだったのかもしれません。

プレビュー画像:©︎Instagram/in_my_headz

出典

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