オーストラリアの街ブルームに日本人墓地がある理由

西オーストラリア州にある人口1万5000人弱の小さな町・ブルーム。日本からおよそ6000kmも離れたこの地に、900人以上もの日本人が眠る墓地があることは、残念ながら本国ではあまり知られていません。

ブルームの中心部から10分ほど西に向かって車を走らせると、その日本人墓地に辿り着きます。墓地に足を踏み入れた瞬間、日本人なら見覚えのある和風の墓石が無数に立ち並ぶ光景に圧倒されてしまいます。

しかしなぜ、日本から遠く離れたオーストラリアの地に、1000人近い日本人が埋葬されているのでしょうか?

日本人がブルームの町に移住をはじめたのは、今からおよそ140年前の1880年。主に真珠採取が目的でした。近海に多数のアコヤガイが生息していることから、オーストラリアの真珠産業の拠点となりつつあったブルーム。ここに優れた技術を身につけた日本人潜水士たちが、故郷に錦を飾ろうと夢を抱いて移住してきたという訳です。

しかし、真珠採取は命の危険を伴う過酷な作業。約80%が和歌山県出身者だった日本人潜水士たちの多くが、潜水病や水難事故によって命を落としました。その数は合計1000人近くにも及びましたが、彼らの遺骨が再び故郷の地を踏むことはありませんでした。遠いオーストラリアの地に日本人墓地が作られた背景には、このような悲しい歴史があったのです。

その後、日本人移民たちの努力の甲斐あって、ブルームの真珠産業は大きく発展。しかし第二次世界大戦中、町の住民の大半を占めていた日本人移民や日系オーストラリア人たちは、強制収容所へ送られてしまいました。それと共に高い技術を持つ労働者の多くを失ったブルームの経済は衰退の一途を辿ります。

戦後、日本人や日系住民のほとんどを失ったブルームでは、日本人墓地は手入れがされずに荒廃していた時期もありましたが、1983年、日本船舶復興協会会長笹川良一や参議院議員等の修復計画によって綺麗に整備されました。しかし2009年、この墓地に眠る多くの日本人の思いを裏切るような悲しい事件が発生します。

ブルームの貢献に発展した日本人の多くが和歌山県太地町の出身者であったという歴史的背景から、太地町と姉妹都市条約を提携していたブルーム市。ここで反捕鯨をテーマにした映画「ザ・コーブ」が世界に先立って公開されたことから、姉妹都市破棄を求めて運動する反捕鯨団体が市に圧力をかけたのです。そして時を同じくして日本人墓地までが何者かによって破壊され、結果、姉妹都市提携も破棄に追い込まれてしまいます。

しかしブルーム市民は姉妹都市提携破棄の決定に猛烈な抗議を開始します。2ヶ月後、ブルーム市議会はついに市民の声に押される形で提携破棄を撤回。ブルームに暮らす人々の日本に対する思いが、反捕鯨団体の圧力をはねのけたのです。ちなみに、その後の選挙で破棄に賛成した市議会議員の多くは落選したそうです。

日本から遠く離れたオーストラリアに、日本とこれほどまで深い関係のある町が存在するなんて、驚きですね。捕鯨問題で太地とブルームの絆が途切れることがこれからもないことを心から祈らずにはいられません。

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