14年の月日を超えて…地震の時に自分を助けてくれた日本の駅員を見つけだしたアメリカ人青年

洋の東西を問わず、「恩に報いたい」という気持ちは共通のようです。そんなことを証明するかのような物語が、ハフポスト日本版に掲載され、あまりにも感動的だとして日本中で話題を呼んでいます。

ことの発端は、実に14年前…日本を訪れていたアメリカ人青年に大きな災害が降りかかったことでした。青年の名前はジャッド・クレイマー。当時18歳で、高校を卒業したばかりだったジャッドさん。高校でクラスメイトだった2名の日本人の友人を尋ねて、横浜を訪れていました。

横浜に住む日本人の友人は受験勉強で忙しかったため、ジャッドさんはJRレールパスを使って日本各地を一人旅していました。その日は、友人宅のある横浜から日帰りで宮城県・松島に向かう途中でした。しかし仙台駅で乗り換えをした直後、大きな揺れが襲います。

その日は2005年8月16日…マグニチュード7.2の宮城県沖地震が日本を襲った日だったのです。アメリカ育ちのジャッドさん、実はそれまでの人生で地震を経験したことがありませんでした!わけが分からないままジャッドさんも駅員に促され、電車を降ります。駅構内に避難している間もアナウンスが流れ続けましたが、日本語であるため状況は全く理解できません。

この時の、言葉も文化も分からない国で大きな災害に巻き込まれたときのアメリカ人青年の不安感は、想像もできないほど大きかったことでしょう。

そのうち、新幹線が止まってしまったということが分かり、ジャッドさんは焦ります。持っていたレールパスは、その日が有効期限最終日だったのです。明日になってしまえば、横浜の友人の家まで戻ることが出来ません。しかも、日帰りの予定だったので現金をほとんど持っておらず、外国のクレジットカードを受け付けてくれる店もほとんどなかったのです。

英語を話せる人はほぼいないような状況でしたが、ジャッドさんは仙台駅の駅員に「今日中に帰らなければいけない」と必死に説明したそうです。すると駅員のうちの1人が(英語は話せませんでしたが)ジャッドさんが絶望的な状況にあると理解し、ある行動を起こしてくれたのです。その駅員は、腕をかばうように仕事をしており、ジャッドさんはその駅員を「片腕」だと理解しました。

その駅員は、彼を近くのホステルに連れて行き、部屋代を払ってくれたのです。しかも翌日仙台駅に戻ると、ジャッドさんに新しい新幹線のチケットを渡し、横浜に戻れるように取り計らってくれたのです。こうして、ジャッドさんはことなきを得たのでした。

アメリカに帰国したジャッドさんは、大学に進学しました。日本での体験が忘れられず、常に周囲の友人には日本という国の素晴らしさをいつも熱弁していたそうです。大学院在学中にはオバマ政権下ホワイトハウスで大統領経済諮問委員会に所属して、経済担当としての勤務も経験。現在はハーバード大学で、シェアリングエコノミーなどの研究をするかたわら教鞭をとっています。絵に描いたようなアメリカのエリート人生を歩むジャッドさんですが、心の中にはいつも一つの後悔がありました。

それは、あの地震の時に助けてくれた駅員に、きちんとお礼が言えなかったこと。ジャッドさんはこう語ります。
「あの頃は日本語でどうやって感謝を表したらいいのか、わかりませんでした。日本語を勉強した今なら、日本のやり方でお礼が言えます。でもあの時は、きちんとお礼を伝えられないまま横浜に帰ってしまいました」

そして地震から14年が経った2019年、ジャッドさんはある決意をします…それは、インターネットを通して、「片腕の恩人」を見つけ出すこと。ハフポストの協力のもと、SNS等を駆使した人探しを開始しました。それから約1ヶ月。人探しは驚くべき結末を迎えます。

「自分ではないか」というJRの男性社員が見つかったのです。その男性社員は、地震当日に仙台駅で帰宅困難者の対応に当たっていました。その中には外国からの旅行者もおり、その旅行者をホテルに案内したという記憶もあったのですが、「片腕」という情報が当てはまらなかったため、自分のことではないと思っていたそうです。しかし時間が経つにつれ、「やはり自分のことではないか」という確信が強まり、名乗り出たのです。

ジャッドさんはその社員の10年前の写真を見て確信します。「間違いない、自分を助けてくれたのはこの人です」

その社員の人は、「片腕」ではありませんでしたが、手にハンディキャップを抱えていました。取材には、「困っている人の気持ちを敏感に感じ取れたのは自分に障がいがあったからだと思う」と、生み育ててくれた両親や障害の有無にかかわらず分け隔てなく働ける職場への感謝も語っています。そしてジャッドさんに対して、「覚えていてくれて、そして探してくれたことに感謝している」とも語っています。

ジャッドさんは、大学が休みになる冬に、再び仙台駅を訪ねて、男性と再会する予定だそうです。

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いかがでしたか?今もなお、ジャッドさんが同僚に日本の素晴らしさを語る時に、一番最初に話すのが、仙台の駅で自分を助けれくれた日本の駅員のことだと言います。たとえ小さな行為だったとしても、恩を受けた相手はそれを忘れることはありません。そして長い月日を経て、その恩は自分に返ってくるのかもしれません。ぜひシェアしてくださいね!

 

このように日本の電車の運行に関わる人は日夜、懸命に努力しているのですね。

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