定年間際で破産し無一文になった男性は、スーツケースを片手に旅に出た。そのときの荷物の中身が30年後、日本のクリスマスを変えることになる。

1955年、ワゴン車でアメリカ各地をひた走る高齢の男性がいました。男性の名前はハーランド・デーヴィッド・サンダース。後の世に広く知られることになる「カネール・サンダース」です。車の中には秘密のオリジナルレシピで作ったフライドチキンが積まれていました。「フライドチキンのレシピを教えるかわりに、売れたチキン1ピースにつき5セント受けとる」というフランチャイズビジネスを65歳にして始めたサンダース。契約を結ぶため、車で各地を周りながらセールス活動に励んでいたのです。

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今でこそ世界125の国で1万9000を越える店舗を展開する一大ファストフードチェーンのケンタッキー・フライド・チキン(KFC)ですが、創業者サンダースの人生は決して平坦なものではありませんでした。幼くして父を亡くし、家計を助けるため10歳で農場で働き始めてから、機関助手、保険外交員、フェリーボートなど40種近くもの様々な職を渡り歩きます。そして1930年、経営するガソリンスタンドの一角に物置を改造した6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開いたのです。

カフェの目玉は11種のハーブとスパイスをブレンドした手作りフライドチキン。サンダースが試行錯誤の末、完成させた秘密のオリジナルレシピから作るフライドチキンは大評判となります。

州の南北を貫く幹線道路沿いにある店は繁盛し、レストランの規模を拡大。1935年には「州の料理への貢献」が評価され、州知事から名誉称号「カーネル」を授与されます。

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1937年にはモーテルを併設したレストランへと成長。1939年に火災に見舞われるものの、1941年には大型レストランを再建。経営者として順風満帆だったサンダースでしたが、皮肉な運命が待ち受けていました。

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当時、アメリカはハイウエイ整備の建設ラッシュの真っ只中。政府が街を迂回する高速道の建設を決定したのです。レストランが面する国道から高速道路へと車の往来が変化。国道の走行車両は激減し、客足が途絶え経営不振に陥ります。結果、負債を支払うためサンダースは店を手放すより他にありませんでした。

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レストランを失ったサンダースの手元にはわずかな金額しか残りませんでした。破産同然。65歳にしてほぼ無一文になってしまったのです。しかし、サンダースは決して諦めることはありませんでした。自分に残された唯一の財産である「オリジナル・レシピ」に絶対的な自信があったからです。「店舗もない状態で自慢のフライドチキンがどうすれば売れるのか?」考えぬいた結果、サンダースが思いついたのはフランチャイズビジネスだったのです。

契約先のレストランにオリジナル・レシピを教え、フライドチキン1ピース売れるごとに利益を受けるという仕組みです。ただし、秘伝の特性スパイスだけは製法の秘密を守るため、自ら調合したものをレストランに渡すというものでした。

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全米各地を車で走り、飛び込みで営業に回る日々…しかし、おじいさんの訪問セールスに応じる店はなかなかありません。行く先々のレストランで断られること、1000回以上。それでもサンダースはくじけませんでした。そして、ついに1009 店目にして初めて契約に漕ぎ着けたのでした!

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その後も熱心に営業を続け、着々と契約店舗を増やしていきます。1960年には400店舗、1964年には600を超える店舗と契約を結び、米国最大のフランチャイズチェーンへと成長します。

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1964年、74歳のサンダースは経営の第一線から退いたものの、その後も「味の親善大使」として各地の店舗を訪問する活動を続けます。自分が作り上げた独自の調理法が守られ美味しいフライドチキンが提供されているか、各店舗を周り自ら確認するためです。アメリカ南部の正装である白いスーツにストリングタイの装いで各店舗の厨房に立ち、ケンタッキー・フライドチキンの味が守られているかチェックし、従業員の教育活動に力を注ぎました。

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世界各地に広がった店舗にも足を運び、晩年までKFCの顔として精力的に働き続けました。年間の移動距離は数十万キロにも及んだそうです。チェーン店が手を抜いて異なる製法で作っている場合は、徹底指導を行いました。

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日本にも1972年、1978年、1980年と3回訪れています。日本のチェーン店が自分の製法を忠実に守り、理想の味と理念を受け継いでいると実感したサンダースは、「日本のケンタッキー・フライドチキンは一番お気に入り」と述べていたそうです。

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最後の日本訪問から1ヶ月後の1980年6月、サンダースは急性白血病を発症、同年12月に肺炎により亡くなりました。90歳でした。

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ピンチの中にあっても自分を信じ、前向きな発想と不屈の精神で大きな成功を掴んだサンダース。「人生は自分でつくるもの。遅いということはない」という説得力のある名言を残しています。いくつになっても挑戦するのに手遅れではない、サンダースの生き方は私たちに大きな教訓を教えてくれます。

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カーネル・サンダースの物語はこちらの動画からもご覧いただけます:

 

プレビュー画像: ©️youtube.com/イミシン 

出典

japan.kfc.co.jp

プレビュー画像: ©️youtube.com/イミシン 

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